胚芽米-福島県 会津産こしひかりを使用したはいが精米を販売
福島第一食糧卸協同組合

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特集7

 

「胚芽米の秘密」

<胚芽米の誕生から最新の胚芽米の研究>

 

胚芽米は東京帝国大学医学部・島薗順次郎教授が「脚気病治療」の

ために開発した「総合ビタミン剤のカプセルを白米の一粒一粒に

くっつけた」米として誕生しました。(五明女子栄養大学教授の表現)

 

今回から、「胚芽米の秘密」として胚芽米の誕生以前、誕生、そして最新

の胚芽米・・・というふうに順次特集していくことにします。今月は第1回目

として、胚芽米の歴史の中から、「胚芽米」誕生以前の背景を探ります。

 

 

第1話  「胚芽米」誕生以前@

 

 「胚芽米」誕生をいつの日にするかは意見がいろいろあるところですが、

一般的に昭和2年の「胚芽米市販開始」「東京帝国大学病院の病院食に採用」

とする案を採用する事が多い。ここでもこの案を採用します。

 ではそれ以前は米は「玄米」・「白米」の2種類しかなかった訳です。

「玄米」と「白米」との中間に「七分搗き」とか「五分搗き」とかはあった訳ですが、

「胚芽米」とは明確に区別します。なぜなら、「七分搗き」とか「八分搗き」とかは

単に「玄米」を「白米」搗精する過程の1シーンに過ぎないからで、「胚芽」を残す

事を治療に使用する目的で作った「胚芽米」とは本質的に違うのものです。

 

(注)JAS法では「胚芽精米」とは、胚芽が80%以上保有されてなければいけない

事とされている。

 

 胚芽米誕生のきっかけ、即ち「脚気病治療」ですが、何故「胚芽米」が「脚気病」の

治療に有効であるかは、「脚気病」の原因がビタミンB1の不足する「白米」が原因

であると突き止めた結果、胚芽にビタミンB1が多く含まれている事で治療と予防が

可能である事が実証されたからです。

 大昔、太古の時代から日本人は米(玄米)を食べてきました。籾を脱穀し「玄米」に

したものを煮炊きして食べていたのです。脚気病は「玄米」を食べている限り、なかった

と考えられています。

 江戸時代も中期になって江戸で玄米を精白した「白米」が市民の間で人気を呼び、流行

していました。「玄米」しか知らなかった市民にとって「白米」は「おいしい」米だったのです。

「白米」のおいしさを知ってからは「玄米」のまずさには戻りたくない。白米を食べる市民が

白米を食べ続けたであろう事は想像に難くありません。

 白米を食べ続けた結果、江戸市民は「奇妙な病」に冒されることになります。

 

 手足のしびれ、むくみ、歩行困難、心臓麻痺で死んでしまう・・・今でいう「脚気病」でした。

 当時、「脚気病」とはもちろん知る由もなく、まして「栄養学」などあろう筈もなく、病の原因

はもちろんわかりません。江戸で発生した「風土病」と考えられていました。というのも、地方

から江戸に奉公に出ていた者が江戸で(白米を食べて)「脚気」になり、ひまをもらって地方へ

帰り、(玄米を食べて)治る。治ると江戸へ出て奉公するうちに(白米を食べて)「脚気」になり

また地方へ帰り、(玄米を食べて)治る・・・という事があって、当時の人々は「江戸で固有の病気」

「風土病」・・・「江戸の病気」・・・「江戸患い」と呼んでいたというのです。

 同じ事が参勤交代の地方の武士でもあったと伝えられているという事もあって、「江戸患い」は

明治になっても続きました。

 明治になって日露戦争が勃発して、戦地に従軍した陸軍の軍医に後の東京帝国大学医学部で

「脚気病」の治療に「胚芽米」を提唱し実際「治療のため」に胚芽米を開発した、島薗順次郎がいま

した。

 戦争で「鉄砲の玉で死んでいく兵隊」と戦わずして「脚気病で死んでいく」兵隊の数は、それぞれ2万

人対2万8千人と「脚気病」で「戦死」した兵隊の数が多かったのは脚気病亡国論を待たずして、国家の

大問題でありました。

 戦地で白米しか食べれなかった事が原因であるとは、島薗順次郎自身「脚気病患者」を軍医として

救えず、目の前で患者が死亡してもなす術がなかった事で明らかなように誰も知らなかったのです。

 

 

 

 

 

 

 
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